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2009年04月06日

院長はどんな人?

んにちは!!烏丸カイロプラクティックセンター 院長の平野 秀一です。
この度はホームページを見ていただいてありがとうございます!
少し長いですが、自己紹介と烏丸カイロプラクティックセンターのストーリーをお話します。

は、昭和53年5月28日京都は墨染 大亀谷に平野家の長男として生を受けました。2歳の時に酒処伏見は向島に移り住み兎に角落ち着きのない子供で、幼稚園からは脱走するわ、おかんが目を離すと消えているそんな子供でした。身体を動かすのが大好きで、近所の友達とかと野球やキックベースなどで常に外で遊んでおり、小学 2年生からはラグビースクールに通い、中学、高校からは勉強もせずバスケットボールに明け暮れ高校の時はキャプテンを勤め、弱小校でしたが京都府ベスト16まで行くことができました。(最後の試合は涙が出ました。)

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来はスポーツに関係のある職に尽きたいという思いが強く、卒業後は大阪のスポーツトレーナーの専門学校に入学しましたが、進路としてはやりたいことが見つからず、就職はせずにフリーターとして友人の紹介でまったく別の道の京都中央市場でアルバイトをしながら、やりたいことを考えておりました。

んなある日、何気なしに本屋で本を呼んでいるとカイロプラクティックという療法があることを知り、いろいろと調べているとスポーツ選手などの治療をおこなたったり、一般の方の肩こり・腰痛なども治療することができる技術を知り直感で『これや!!』と感じ、ちょうどその頃に開校したばかりの村上整体専門医学院 京都校に入学を決意。

意はしたけど当時は貯金も少なくお金が足りませんでした。今まで親に迷惑をかけっぱなしだったので『お金は自分で何とかしよう!』と入学するまでの半年は朝4:00から中央市場、昼からは4tトラックで堺市まで走り、お金をためる日々が続き入学金だけは貯めようやくこの世界に入ることができました。
平野 秀一22歳の春でした。

校は夜間部でしたので、朝は中央市場でアルバイトをして学費を稼ぎ、夜は学校と睡眠時間3時間のハードな毎日を送り、テクニックや座学を2年間みっちりと学びトップの成績で卒業して、付属の治療院で働くことになりましたが、働いた当初は現場で患者さんを担当させてもらうことにドキドキして今でこそ言えますが、失敗もたくさんしました。

者さんを痛めてしまったり、うまいこと治療できなかったりと枕を涙で濡らす日もありました。 ですが先輩や妻などに助けられて治療家としても成長することができ2年目には付属治療院の院長に抜擢され、来院数も増え軌道に乗ることができ4年目には関西エリア(大阪・京都・名古屋・金沢・広島)の責任者に抜擢されました。週一回は大阪に治療も行くようになり名古屋や金沢、広島にも月に1回は行っておりスタッフの教育、生徒さんへの指導など、とても貴重な体験をさせて頂きましたが・・・でもどこかで『このまま雇われていてええんか?治療に専念し、自分の治療院を経営したい!!』という思いが常日頃からあり紋々としていました。

して私の結婚が決まり開業するタイミングを考えており、そうしている内に付属治療院を閉院する話が持ち上がり三十路の平野は一念発起!!

分らしいやり方で地域社会への貢献をしていこうと2008年 8月1日に開業することを決意し、今に至ります。

在の烏丸カイロプラクティックセンターがあるのは以前の会社の理事長のご好意や移転しても通ってくださる患者さんや開業するにあたって、応援してくれた妻・両親・姉夫婦・義両親・義姉夫婦・同期の先生や先輩の先生方のおかげです。感謝の気持ち、そして初めて患者さんに『ありがとう、楽になったわ!』と言われた時の気持ち、初心を忘れず地域NO.1治療院を自負公言しこれからも走り続けたいと思います。

だまだ若輩者で至らないことも多々あると思いますが、私自身『カイロプラクティック技術の向上』、『治療院のサービスの向上』を常に心がけ、皆様の健康管理を全力でサポートさせて頂きたいと思っております。
どうか今後とも暖かいお付き合い宜しくお願いします!!

烏丸カイロプラクティックセンター
院長   平野 秀一