愛につていの考察。ちゅうほどのもんでもないけれど。
1月ごろから腰痛と婦人科の問題でこられている「女性が腰の痛みもきになることなく、3〜6か月来たり来なかったりの生理も順調です^^」と嬉しい報告を受けたのでホッと胸を撫でおろしています。
エソテリックヒーリングパート3に出てから「愛」についてやたらと考えていて、未だに答っちゅう答は出ていません。
ご覧になっていない方はこちらをごらんください。
それでも少しづつコレかな?こういうことちゃうんかな?っていうのは感じています。
隠してるわけちゃうんですけど患者さんでも一部の方にしか伝えていないのですが(また通信にでも書きますね!)月に数回いつもの勉強と違う勉強してましてそれって自分のためにやるもんやと思っていたんです。
昨日言われたのが、「我欲のためにやってそれで力がついて俗世でそれを威張ったかてここ来たら凄い人いっぱいいるやん。鼻へし折られるやん?その力って誰の力?自分のちゃうやん。でもそれで蝋燭を灯す。それを自分のためじゃなくて誰か困っている人が居たらその人を思って灯す。それが祈りとなって相手に届くんやと思うで。」
なんのこっちゃですが、その人の話を聞いていて思ったのが、目の前に人が居なくても相手がいる。
当たり前やんと思うかもしれませんが、普段はどうしても我が我がとなってしまうことが多い。特に私(苦笑)
その話を聞いてあ〜それが愛なのか〜と考えたけど、Siri大先生は愛とは形のないものと諭してくれました。
それってあながち間違ってへんなと思いましたね(Siri大先生凄い)
思いであったり、優しさであったり、言葉がけや心遣いや日本人が持っている誰かを思って祈る心。
神社でも寺でも参拝するときって感謝と誰かを思って祈り(日本ではお経)を上げる。
外国人が言う愛って、私のイメージだと耳元で囁くアイラブユーのLOVE💋のイメージが強くて言葉を言葉でしか捉えてへんかったな〜と思いました。
何が愛ってのはまだわからんけど、愛っていうても色々とあるんやなと思った。
昨日のエソテリックの練習会でも愛という言葉を前よりはすんなりと受け入れられたように思います。
先生にも言われたこれも魂の計画なら迷わず行こうと思います。
毎月のお参りも違う形でできそうです( ´ ▽ ` )ノ